史跡・名所

●小江戸川越七福神の布袋尊

当寺には、小江戸川越七福神の布袋尊が祀られています。名を契此、号を長汀子と称し、自ら弥勒菩薩の化身であるといった布袋尊は、容貌福々しく、小柄で太鼓腹が特徴。大きな袋を負い、何でもこの袋に収めたので、布袋和尚と呼ばれました。後に死を迎える時、袋を負い、喜悦の面相を浮かべていたことから福神とされ、七福神に加えられたといいます。布袋尊の円満の相は、忙しい世に住む人々に安らぎをもたらします。当寺は、川越の観光名所・菓子屋横丁のすぐ裏手にあります。どうぞお気軽にお参りください。

●赤穂浪士・矢頭右衛門七の妹の墓

当寺には、赤穂浪士の一員・矢頭右衛門七(やとう・えもしち/討ち入り当時17歳)の妹の墓があります。妹は矢頭兄弟の次女で、元禄15年(1702)12月の討ち入りを前に、母親らとともに叔母の嫁ぎ先の奥州白川藩(福島県白河市)に向かい、討ち入り後に幕府に窮状を認められ、親類の多賀谷家の次男と結婚しました。その後、白川藩主の国替えに伴い、上州厩橋(群馬県前橋市)へ、さらに川越へと移住、その時には70代になっていたと推定され、川越へ来た翌年に病没しています。嵐のような激動の時代に、男社会の中で思いがけない運命をたどった女性の姿がまさに浮かび上がってくるようです。

●浄土宗念仏行者 徳本上人名号碑

江戸時代、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とただひたすらに念仏を唱えることで、衆生を救った徳本上人(とくほんしょうにん)の名号碑。徳本は、念仏を説いて江戸から全国各地を行脚し、人々に生きる喜びを与えました。当寺にも行脚のさなか訪れ、それを記念して名号碑を建立しました。当寺と同じような「南無阿弥陀仏」を刻んだ碑が全国に1000基以上も残されていることから、徳本上人の多大な功績を伺い知ることができます。


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