名所・開山・霊験

●小江戸川越七福神第五番札所
      福禄寿神(人望)

福禄寿神は、幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁盛、延寿福楽等のご利益を現します。当山の福禄寿神の像は、右手に麗芝、左手に神亀を持ち、癌や脳卒中をたちどころに治してしまいます。そして人々を福禄寿へと導くのです。

●開山感誉存貞上人

戦国時代が終わるころ、天文十五年四月(1546)川越城を包囲した足利、上杉の大軍は、小田原から馳けつけた北条氏康の軍に夜襲をかけられて敗走、氏康は家老大導寺政繁を川越城将としました。又、その母君、蓮馨大姉は、仏の教を弘め、民衆に心のより所を与えたいとお考えになり、甥にあたる感誉存貞上人を招いて開山としました。これが蓮馨寺の創りであります。
開山感誉存貞上人は、蓮馨大姉の請(こい)によって天文十八年蓮馨寺の開山となり、のち大本山・東京芝の増上寺第十世に登られました。学徳一世に秀で、寺を開くこと九、門下の逸材は十指に余り、当山に帰退後も、学寮僧常に三百、偉徳は全国に知られる程でした。特に上人の浄土宗伝法改革は、感誉流といって、現在も主脈とされています。

●祈願所(呑龍さま) -毎日受付・諸願成就-

呑龍上人(1556〜1623)は、大田大光院の開山となられた方でありますが、当時上州の地には度々冷害や飢饉が続き、思案に余ったまずしい農民の間には、堕胎や間引き(嬰児殺し)をすることさえ行われました。上人は惨状を見るに忍びず、寺の禄米をひそかに出して与えたり、読み、書き、そろばんといった、生きるための教養を、まずしい人々に与え続け、又、色々な相談に応じたばかりでなく、困窮者の子弟を集めて形ばかりの御剃度を行い、お弟子(出家)という形をとって、慈悲行を続けられました。このため、救われた人々からは勿論、伝え聞いた人々からも活仏(いきぼとけ)として崇められました。子育呑龍上人という称はこうしておこり、呑龍様のお弟子入りということが、上人の没後も、特別の意味を持って信奉され、又、多くの霊験を現しています。
身を挺して民衆の苦難に赴かれたその後半生は、学究としての前半生の大きな開花であり、社会福祉事業の我が国におけるさきがけとして、生きた仏者の鏡であります。


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